中小企業のM&Aを進めるにあたって、売り手企業と買い手企業の間で、最も合意が難しいのが対象企業の取引価格の算定です。売り手企業側はできるだけ高い企業価値評価による価格を付けたい、一方で買い手企業側は企業価値評価をできるだけ安く算定したいと考えます。しかし、お互いにそれぞれの主張をし続けていても、合意には至りません。その際に用いられるのが企業価値の評価の算定法です。
一般的に使われるものとして、コスト・アプローチ、インカム・アプローチ、マーケット・アプローチなど、企業価値の評価の算定方法はいくつもありますが、なかでも、年買法(年倍法)は、企業価値評価の価格の算定の際に、売り手企業と買い手企業が合意できる価格の目安を決めるためによく使われる手法として知られています。
今回は、中小企業のM&Aの取引価格を決める際に、簡便に目安としての価格を算定するために利用されることが多い、年買法について解説します。
年買法とは
そもそも、年買法とはどのような企業価値評価の算定法でしょうか?
年買法は、ごく簡単に言うと、買収の対象となっている企業の時価純資産にその企業の利益の複数年分を営業権として加算して、企業価値を算出するという方法です。
ひとくちに「利益」と言っても、いろいろな種類がありますが、年買法の算出をするための「利益」はどのような利益かということに決まりはありません。ちなみに一般的には、営業利益を使うことが多いようです。
利益の加算年数についても、何年分を加算するのが正しいのかということに決まりはありません。一般的に3年から5年が多いようですが、対象企業の将来性が見込まれる場合は、その加算年数が多くなりますし、先行きが不透明な対象企業の場合は、年数は少なくなるでしょう。
このように、年買法は、アバウトな一面がある一方、計算がしやすく、現在の企業の時価純資産に先行き数年間分の利益見合いの営業権を乗せた額というのが、当事者にそれなりに納得感があり、合意しやすいことから、中小企業のM&Aの際にその取引価格の指標として頻繁に使われる企業価値評価の算出方法ということができます。
年買法の考え方
年買法は、企業価値の評価をする際に一般的によく使われる算定法の一種であると言われていますが、一方で論理に基づいた正確な算定方法ではないと言われています。
一般的に企業価値の評価をする論理的な根拠に基づく算定法としては、後に説明するコスト・アプローチ、インカム・アプローチ、マーケット・アプローチという方法が使われます。
年買法は、会社の純資産価値を重要視して企業価値を算定する考え方に、将来の成長による対象企業の利益を加算した評価方法となります。
この意味で、年買法は、コスト・アプローチとインカム・アプローチの両方の考え方を取り入れて、企業価値の概算を算出することができる方法であると言われています。
そして、コスト・アプローチとインカム・アプローチの考え方を両方取り入れているということが、前述のとおり、売り手と買い手の双方が納得しやすく、中小企業のM&Aの際に、年買法の考え方が支持される理由となっています。
ただ、特に過去の利益の複数年分を加算して営業権とするというところに、論理的な根拠がないため、論理に基づかないアバウトな企業価値評価の算定方法と言われています。
他の企業価値評価法
これまで説明してきたとおり、企業のM&Aを行う際に、売り手の企業の企業価値がどのくらいなのかを算定することは、非常に重要なファクターです。なぜなら、買い手企業は、算定された企業価値に基づいて対価を支払い、売り手企業を獲得することになるからです。
一般に用いられるロジックに従って企業価値を算定する方法としては、コスト・アプローチ、マーケット・アプローチ、インカム・アプローチの3つの方法がよく知られています。
ここからは、これら3つの企業価値算定方法について説明していきます。
コスト・アプローチ
コスト・アプローチは、企業の純資産価値を重要視して、企業の価値を算定する方法です。コスト・アプローチには、純資産価値を算定する具体的な方法の違いによって、簿価純資産法、時価純資産法、清算価値法などの算定方法の種類があります。
簿価純資産法は、単純に取引対象企業の貸借対照表の資産の部に載っている資産のトータル額から、負債の額を引いた純資産を評価の基準とする方法です。貸借対照表という帳簿に載っている額、いわゆる簿価をそのまま採用することから、簿価純資産法と呼ばれます。貸借対照表を見ればすぐに誰でも算出できるという容易さはある反面、資産の含み益などが考慮されず、特に売り手が資産について正当な評価がされていないと考えることが多い手法と言えます。
時価純資産法は、純資産を算定する際に、単純に貸借対照表に載っている数値をそのまま採用するのではなく、それぞれの資産を、評価する時点での時価に評価し直して計算する方法です。
例えば、土地や建物などの不動産は、貸借対照表に載っている資産価値と実際の価値が異なっていることが通常です。このように会社の資産の簿価と時価が違うことを考慮して、純資産を時価に算定し直し、企業価値をより現在価値に近い形で算出する方法が時価純資産法です。
時価純資産法は、簿価純資産法のデメリットである、資産などの時価評価を取り入れているという点を改善しているので、双方が納得しやすいという面があります。しかし、資産などについて、貸借対照表に載っている数値をそのまま用いるのではなく、時価評価をする手順が増えるなど、簿価純資産法より手間がかかることは否めません。
清算価値法は、企業が清算される場合に、企業が所有している財産などがどのように評価されて売却されるのかを基本に考えた算定方法です。まず、対象企業の全資産の売却額を算出し、そこから弁済する負債の金額を差し引いた残余額をベースに算出します。
資産を売却する場合の価格を前提とすることから、例えば、機械などは買い手が付かない特殊なものの場合、資産価値が低く評価されるなど、全体的に低めに算出されることが多いです。
これらがコスト・アプローチの企業価値算定方法と呼ばれる主な方法です。コスト・アプローチによる企業価値の評価は、貸借対照表を基に簿価や実際の地価などから算定するため、客観性が高いというメリットがあります。一方、企業の価値の評価に対象企業の収益性や将来性が考慮されないという点などは、コスト・アプローチのデメリットと言うことができます。
インカム・アプローチ
インカム・アプローチは、取引対象企業の将来見込まれる成長による利益を、そのリスクを加味した形で現在価値に評価して算定することによって、企業価値を図るという方法です。
具体的なインカム・アプローチでの評価の方法としては、将来見込まれるフリーキャッシュフローから評価するDCF法と株主が受け取ると見込まれる配当から評価する配当還元法などがあります。
DCF法は、Discount Cash Flow法というのが正式名称で、割引キャッシュフロー法とも言われます。将来見込まれる企業のフリーキャッシュフローを加重平均資本コストで割り引いて計算し、それに非事業用資産を加えることで企業価値を算出します。
具体的には、「評価の対象となる企業が将来生み出すと想定されるキャッシュフロー(見込み収入)を手に入れられるという権利は、現在の価値としてどれぐらいなのか?ということを計算する」という考え方で企業価値を算出します。
例えば、将来、毎年それぞれ2億円ずつの収入が見込まれる企業の価値をDFC法で算出する場合、今後、永続的に得られる毎年2億円の収入が、それぞれ現在価値としていくらになるのかを計算し、それらを合計したものに非事業用資産を加えることでその対象企業の価値全体を算定します。
DFC法は、M&Aの際の企業価値の評価だけでなく、不動産価値の鑑定評価をする際にも使われており、資産全般を合理的に評価する際に活用されている計算技法ということができます。
配当還元法は、株主に実際に支払われる配当金に基づいて、企業価値の評価を定める方法です。
配当還元法による企業価値の算出では、実際に売り手企業が配当した実績を基に割り出したり、対象企業と同業種の配当金の平均配当性向から割り出したり、内部留保が再投資されることを前提として、将来に予測される配当金を割り出したりして、企業価値を計算します。
例えば、配当還元法のうち、実際に対象企業が配当をした実績からその企業価値を割り出す方法は、具体的には、次のような計算方法で、対象企業の企業価値を算出します。
まず、直前の期とその前の期の配当金総額の合計を2で割り、年間配当金を求めます。例えば、直前の期の配当金が100万円、その前の期の配当金80万円の場合、年間配当金は(100万円+80万円)/2=90万円となります。
次に1株当たりの年間配当金を算出します。年間配当金を直前期の資本金を50円で割った株式数で割ります。例えば、資本金が5000万円の場合、株式数は5000万円/50円=100万株。したがって、1株当たりの年間配当金は90万円/100万株=0.9円となります。
最後に配当還元価額を算出します。1株当たりの年間配当金を10%で割り、さらに1株当たりの資本金等の額を50円で割った値を掛けます。配当還元価額は (0.9円 / 10%) × (50円 / 50円) = 9円。この方法により、株式の評価額は59円になります。それに100万株を掛けた5,900万円が対象会社の企業価値の評価額となります。
マーケット・アプローチ
マーケット・アプローチ法は、評価する対象の企業の市場価値を基に価値を算定する方法です。「類似企業比較法」「類似取引比較法」「市場株価法」「類似業種比較法」の4種類がマーケット・アプローチの主なものです。
「類似企業比較法」は、上場企業の中から評価する対象の企業と類似した企業を選び、財務分析をして対象企業の評価額を算出する手法です。上場企業から選ぶ理由は、上場企業の場合、財務情報などの必要な情報がすべて公開されているためです。
具体的には、比較する類似した上場企業の売上高・利益・株価などの指標を選び、評価対象企業と比較する類似企業との倍率を出して、それを掛け合わせることで評価対象企業の価値を算出します。
類似企業比較法の中でもよく使用される指標が、EV/EBITDA倍率です。類似上場会社のEV(事業価値)をEBITDA(概ね償却前営業利益)で割ることで評価倍率を算出し、その評価倍率を評価対象会社のEBITDAに掛け合わせることで、対象会社の事業価値を算出します。
類似企業比較法は、市場価値と比較しやすく、計算が比較的簡単で、迅速に評価額を算出できるというメリットがある一方、類似企業の選定が難しく、選定基準によって評価結果が変わる可能性があり、
特殊な事業内容の場合、類似企業が見つからないことがあるなどのデメリットがあります。
「類似取引比較法」は、類似企業比較法と計算方法は似ていますが、比較対象とする企業を評価対象企業と業種、規模、取引条件が似ている過去のM&A取引から選びます。その後、比較指標を決めて、比較対象企業と評価対象企業の規模の違いを特定の指標の倍率で比較してそれを掛けて、評価対象企業の価値を算出するところは同様です。
類似取引比較法は、類似企業比較法と同様のメリットとデメリットがありますが、過去のM&Aの取引から選ぶことから、適正な比較対象が見つかれば、M&Aの状況により適した企業の価値の算出ができる可能性が高いとも言えます。
「市場株価法」は、上場企業の株価を基に企業価値を評価する方法です。まず、通常、1~6カ月の株価の算定期間を決めて、その期間の株価の終値を平均し、計算した株価の平均値に発行済株式数を掛けて、時価総額の算出をします。時価総額から有利子負債を引いて評価対象企業の価値を算出します。この方法は、市場によって株価が決まっている上場企業の合併などでのみ使われる方法で、非上場企業では用いることができず、中小企業のM&Aで利用するのは困難な方法です。
「類似業種比較法」は、租税法上の公正さを保つ目的で、主に国税庁が財産評価のために採用している方法のことです。相続税や贈与税の申告において、取引相場のない株式の評価に用いられます。
類似業種比較法では、評価対象となる企業と同じ業種や類似する業種の上場企業の株価を基に評価額を算出します。
具体的には、まず、評価対象企業の業種を特定し、同じ業種または類似する業種の上場企業を選びます。次に、選定した上場企業の1株当たりの配当金額、利益金額、簿価純資産価額、株価などの財務指標を収集します。
そして、収集した財務指標の平均値を計算し、その平均値を基に、評価対象企業の株式の評価額を求めます。
類似業種比較法は、市場価値を反映し、比較的容易に算出できる一方、そもそも、その目的が税の公平性のためであることや、財務指標を収集する上場企業の選定が難しく、選定する企業によって結果が変わるなどのデメリットがあり、中小企業のM&Aの指標としてはあまり用いられません。
年買法の計算方法
年買法は、一般的に時価純資産に営業権をプラスした額で算出されます。時価純資産法に営業権の評価も加味することでより、特に売り手にとって納得感のある評価方法となります。
この際の営業権は、過去の基準となる利益の数年分を平均したり、加重平均したりして算出し、それを3~5倍(3年分~5年分)したものを営業権として評価することが多いようです。
基準となる利益は、通常、営業利益を用いることが多いようです。しかし、当事者同士が合意するのであれば、経常利益でも税引き後の利益が基準利益として使われる場合もあります。年買法を用いた具体的な計算方法を説明してみます。
例えば、簿価純資産800百万円、土地の含み益50百万円、売上高1,000百万円、営業利益80百万円の会社があった場合、まず、時価純資産額は800百万円+50百万円=850百万円となります。
次に営業権を営業利益の5年分とした場合、営業権は80百万円×5年=400百万円となります。
この企業の年買法で算定した企業価値は、時価純資産額と営業権を足したものとなりますので、850百万円+400百万円=1,250百万円ということになります。
年買法のメリット・デメリット
年買法は、これまで説明してきたとおり、純資産額に基づいて企業評価をするコスト・アプローチと将来の営業活動による利益を考慮して評価をするインカム・アプローチをふくごうしたような企業評価方法と言うことができます。コスト・アプローチ、インカム・アプローチ、マーケット・アプローチにもメリット・デメリットがあったように、年買法にもメリットとデメリットがあります。これらについて見ていきます。
年買法のメリット
年買法のメリットは、まず、計算がシンプルで、直感的に理解しやすく、短時間で企業価値を算出できるため、初期段階での評価や交渉の基礎として利用しやすいということです。さらに、計算に使う要素が純資産額と過去の基準利益であるため、売り手も買い手も理解がしやすく、納得感が得られやすいのもメリットです。これらのメリットがあるため、中小企業の実務において広く利用されているという実体があります。
年買法のデメリット
一方で、年買法のデメリットもいくつか挙げられています。
まず、年買法のデメリットとして挙げられるのは、理論的な裏付けが不足しているということです。
これまで説明してきたとおり、年買法は、時価純資産額に過去数年間の営業利益の平均を3~5倍したものを加えて算出します。
時価純資産額はコスト・アプローチで理論的に裏付けられた数字ですが、未来の営業権を算出するために年買法で用いられている、過去数年の平均を3~5倍して足すという算定方法には、理論的な根拠がありません。
よって、最終的な計算結果としての年買法による企業価値は理論的な根拠がないと言われることになります。
次に、年買法は市場の状況を十分に反映していないため、現在の市場価値と乖離する可能性があります。これは、コスト・アプローチの手法でも言われることではありますが、まず、コスト・アプローチから企業価値評価の計算をし始める年買法においても、デメリットとして認識されることになります。
しかし、実態上は、これらのデメリットを考慮しても、当事者間で納得しやすいということもあり、広く利用されることが多いというのはこれまで説明してきたとおりです。
年買法の活用方法
年買法は、企業価値評価の一つの方法として、中小企業のM&Aにおいてよく利用されています。一方で、前述のとおり、理論的根拠には乏しい企業価値評価方法でもあります。では、年買法は実際には、どのように活用されているのでしょうか?
まず、理論的には根拠が乏しいとはいえ、これまで説明してきたとおり、中小企業のM&Aなどで企業を取引する場合に、当事者間では納得感のある企業価値評価の算定方法だと評価されて利用されています。
そもそも、中小企業のM&Aなどにおいて、企業価値をどのように算定し、取引価格を決めるのかは、基本的には当事者間の自由ですので、年買法で算出した企業価値で企業の売買を行っても、全く構わないのです。
そのため、お互いに納得ができれば、年買法で算出した企業価値評価の価格で企業の取引が行われることもあります。
さすがに、理論的な裏付けのない感覚的な企業価値評価の価格だけでの企業の取引をするのには抵抗があるという場合でも、中小企業のM&Aの交渉の初期段階では、年買法によって簡便に算出された価格で交渉を進める場合がよくあります。
そして、本格的に企業の売買交渉が進むにしたがって、他の企業価値評価の価格、特にマーケット・アプローチなどで算出した価格を参考にしたり、より実際価格を精密に算出するためにデューデリジェンスを行ったりして、最終的な企業を取引する価格を決めるのですが、そこに至るまでは、目安の指標価格として年買法による企業価値評価で算定した価格を使うということが数多く行われています。
年買法のまとめ
年買法は、コスト・アプローチとインカム・アプローチを組み合わせたような、複合型の企業価値算定方法です。算出方法が簡単で、M&Aなどで企業売買をする当事者が理解しやすいという特色を持っています。
通常、綿密な将来の事業計画策定や予想利益を算出することが少ない中小企業がM&Aで買い手企業との交渉を行う際、取引金額検討の目安としての企業価値を算定する方法として有効です。
営業権の算出のために、基準利益にどの程度の年数倍率を掛けた金額を加算するかは、売り手と買い手の間で具体的な交渉が必要になりますが、主にマーケット・アプローチなどの他の企業価値算定方法で算出した結果も考慮して、お互いが納得できる取引金額をみつけるための手法としては、年買法はとても有用な企業価値評価の算定方法なので、適切に利用することは効果的だということが理解できると思います。