基本合意書の案文に「売主は、本基本合意書の有効期間中、本件取引以外の第三者との間で対象会社の株式の譲渡に関する協議を行ってはならない」という条項が置かれております。基本合意書の冒頭には「法的拘束力を有しない」と書かれているにもかかわらず、この条項だけは拘束力を持つ条項として列挙されております。既に別の買主候補からも打診を受けており、この条項に署名してよいものか判断がつきません。このようなご相談をいただくことがあります。
結論から申し上げます。独占交渉義務は、基本合意書に置かれる条項のうち、法的拘束力を持たせるのが通例である条項の代表格です。署名によって現実に義務が発生いたします。もっとも、拘束される範囲は条項の書きぶりによって大きく異なり、期間、禁止される行為、終了事由のいずれについても交渉の余地があります。本記事では、独占交渉義務の内容、期間の管理、違反した場合の効果、署名の前に確認すべき事項の順に整理いたします。
第1節 独占交渉義務とはどのような義務か
1 義務の内容
独占交渉義務とは、一定の期間、特定の相手方以外の者と当該取引に関する交渉を行わない義務です。買主候補の側から見れば、デューデリジェンスの費用及び時間を投じる以上、その期間中に売主が他の候補へ乗り換えることを防ぎたいという合理的な必要があります。売主の側から見れば、その期間中は比較の対象を持てないことになります。
独占交渉義務は、法律に定めのある制度ではありません。契約上の特約として当事者が合意することにより発生する義務です。したがって、その内容は条項の文言によって定まります。
2 法的拘束力を持たせるのが通例です
基本合意書の多くは、価格、取引の手法、日程といった条項には法的拘束力を持たせず、独占交渉義務、秘密保持義務、費用負担、有効期間、合意管轄といった条項には法的拘束力を持たせる構成を採っています。案文の末尾近くに置かれる「本基本合意書は、第○条、第○条及び第○条を除き、法的拘束力を有しない」という条項に、独占交渉義務の条番号が含まれているかどうかを確認いたします。
3 独占交渉義務と誠実交渉義務との違い
「誠実に協議するものとする」という条項と、独占交渉義務とは別のものです。前者は義務の内容が抽象的であり、これに違反したとして損害賠償が認められる場面は限定的です。これに対して独占交渉義務は、「第三者と協議してはならない」という不作為の義務であり、義務の内容が明確です。
第2節 条項の書きぶりによって拘束の範囲が変わります
表1 独占交渉義務の条項において確認すべき要素
| 要素 | 確認する点 | 売主にとって負担が重い書きぶりの例 |
|---|---|---|
| 義務を負う主体 | 売主のみか、対象会社及びその役員も含むか | 「売主、対象会社並びにこれらの役員及び従業員」 |
| 禁止される行為 | 協議、交渉、情報の提供、勧誘、応答のいずれまでか | 「接触し、又は情報を提供してはならない」 |
| 対象となる取引 | 株式の譲渡に限るか、資本提携一般まで及ぶか | 「対象会社の資本又は事業に関する一切の取引」 |
| 対象となる相手方 | 第三者一般か、競合他社に限るか | 「売主以外のあらゆる第三者」 |
| 期間 | 何か月か、起算点はいつか | 「本基本合意書締結の日から6か月間」 |
| 更新 | 自動更新の有無、更新拒絶の方法 | 「異議がない限り同一条件で更新される」 |
| 終了事由 | 中途で終了する事由の有無 | 終了事由の定めが置かれていない |
| 違反の効果 | 損害賠償、違約金の定めの有無 | 「違約金として金○円を支払う」 |
| 例外 | 既存の取引先との通常の取引の除外 | 例外の定めが置かれていない |
1 禁止される行為の範囲
「協議してはならない」という書きぶりと、「接触してはならない」という書きぶりとでは、範囲が大きく異なります。後者の場合、他の候補者から連絡があった際に、その連絡に応答すること自体が抵触するのではないかという疑義が生じます。
実務上は、他の候補者から打診を受けた場合に「独占交渉義務を負っているため回答できない」旨のみを伝えることは許容される、という趣旨の例外を設けておく方法が考えられます。
2 義務を負う主体の範囲
売主個人のみが義務を負う書きぶりと、対象会社及びその役員も義務を負う書きぶりとでは、負担の重さが異なります。対象会社が義務を負う場合、対象会社が通常の営業の一環として行う資本提携の検討まで制約されることになりかねません。
3 対象となる取引の範囲
「対象会社の株式の譲渡」に限定されている場合と、「対象会社の資本又は事業に関する一切の取引」まで及ぶ場合とでは、範囲が異なります。後者の場合、事業の一部の譲渡、増資の引受け、業務提携までが含まれることになります。売主が並行して検討している事項がある場合には、その点を除外する必要があります。
第3節 期間の管理
1 起算点
期間の起算点は、基本合意書の締結の日とされるのが通例です。もっとも、実務上は、デューデリジェンスの開始が締結から数週間後になることがあります。この場合、独占交渉義務の期間のうち相当部分が、実質的な調査が行われないまま経過することになります。
これを避けるための工夫として、期間の起算点をデューデリジェンスの開始日とする方法、又は一定の期日までにデューデリジェンスが開始されない場合には独占交渉義務が終了する旨を定める方法が考えられます。
2 期間の長さ
表2 独占交渉義務の期間に関する一般的な考え方
| 期間 | 想定される場面 | 留意点 |
|---|---|---|
| 1か月から2か月程度 | 対象会社の規模が小さく、調査の範囲が限定的な場合 | 期間が短すぎると買主が調査に着手しにくくなります |
| 3か月程度 | 中小企業の株式譲渡において比較的多く見られる期間 | 標準的な期間として交渉の基準となり得ます |
| 6か月程度 | 許認可の承継、不動産の調査等に時間を要する場合 | 延長の必要が生じた時点で協議する構成も考えられます |
| 期間の定めがない | 稀ですが案文に見られることがあります | 期間の定めのない拘束は避けるべきです |
期間の長短それ自体に法律上の上限はありません。もっとも、期間が不相当に長く、かつ終了事由も定められていない条項は、売主の取引の機会を過度に制約することになります。
3 自動更新の定め
「有効期間満了の1か月前までにいずれの当事者からも異議の申出がないときは、同一の条件でさらに3か月間更新されるものとし、以後も同様とする」という定めが置かれていることがあります。この場合、更新を望まないのであれば、期日までに異議を申し出る必要があります。期日の管理を怠ると、意図せず拘束が継続することになります。
4 終了事由
期間の満了以外に独占交渉義務が終了する事由として、次のものを定めておくことが考えられます。第一に、買主が書面により取引の検討を中止する旨を通知した場合。第二に、買主が基本合意書に記載された条件を売主に不利に変更することを申し入れ、売主がこれに同意しなかった場合。第三に、一定の期日までにデューデリジェンスが開始されない場合。第四に、買主に信用不安が生じた場合です。
第4節 違反した場合の効果
1 損害賠償
独占交渉義務は契約上の義務ですので、これに違反した場合には、債務不履行として相手方に生じた損害を賠償する責任を負い得ます(民法第415条第1項)。賠償の範囲は、通常生ずべき損害及び当事者が予見すべきであった特別の事情による損害です(民法第416条)。
もっとも、独占交渉義務の違反によって買主に生じた損害の額を具体的に立証することは、必ずしも容易ではありません。買主が支出したデューデリジェンスの費用は比較的立証しやすい一方、取引が成立していれば得られたはずの利益については、その立証に困難が伴います。
2 違約金又は損害賠償額の予定
案文によっては、独占交渉義務の違反について「違約金として金○円を支払う」という定めが置かれていることがあります。この定めが置かれている場合、実際に生じた損害の額にかかわらず、定められた額の支払義務が生じ得ます。金額が相当であるかを署名の前に確認する必要があります。
3 取引の差止めは通常は問題となりません
独占交渉義務に違反して第三者と締結した契約が、そのことのみを理由として無効となるものではありません。義務は売主と当初の買主候補との間の契約上のものであり、第三者との契約の効力に直ちに影響するものではないためです。
第5節 署名の前に確認する事項と弁護士に相談する意味
表3 署名前の確認事項
| 確認事項 | 望ましい状態 |
|---|---|
| 法的拘束力を持つ条項に含まれているか | 含まれていることを前提に内容を確認します |
| 禁止される行為 | 「本件取引に関する協議及び交渉」に限定されています |
| 義務を負う主体 | 売主に限定されています |
| 対象となる取引 | 対象株式の譲渡に限定されています |
| 期間 | 3か月程度を目安とし、起算点が明確です |
| 自動更新 | 更新がない、又は更新の手続が明確です |
| 終了事由 | 買主側の事情による終了事由が定められています |
| 違反の効果 | 過大な違約金の定めが置かれていません |
| 例外 | 打診への最小限の応答が許容されています |
独占交渉義務は、条項の分量としては数行にすぎません。しかし、署名によって現実に発生する義務であり、その後の数か月間の売主の行動を規律いたします。弁護士が行う業務は、条項の文言を売主の実情に照らして精査し、必要な限定及び終了事由を織り込むことにあります。
なお、当事務所は、M&A仲介会社からのご紹介によるご依頼もお受けしており、仲介会社との間で良好な関係を築いております。独占交渉義務の条項を検討することは、買主候補の投じる費用を保護しつつ、売主の側の予測可能性も確保するという、双方にとって意味のある作業です。
具体的な修正の申入れの方法及び交渉の進め方は、当事者の関係、交渉の段階、案件の規模等により異なり、当事務所が個別案件を通じて蓄積してきた実務上のノウハウにも属するため、本記事では詳細を開示しておりません。
よくあるご質問
質問1 独占交渉義務に署名すると、他の候補者からの打診に返事をしてはいけないのですか。
条項の書きぶりによります。「協議してはならない」という定めであれば、打診があった事実を認識すること自体は義務の違反とはなりにくいと考えられます。他方、「接触してはならない」という定めですと、応答自体が問題となる余地があります。署名の前に、打診への最小限の応答を除外する定めを置くことを検討いたします。
質問2 既に他の候補者と交渉しています。署名してよいですか。
そのままの案文では、署名と同時に義務の違反が生ずるおそれがあります。既存の交渉について例外とする定めを置くか、当該交渉を終了させた上で署名するか、いずれかの整理が必要です。事実を伏せたまま署名することは避けるべきです。
質問3 独占交渉義務の期間中に、買主が条件を大幅に下げてきました。
条件の変更それ自体が独占交渉義務を終了させるものではありません。終了事由として「買主が売主に不利な条件の変更を申し入れ、売主が同意しない場合」を定めていれば、これにより終了させることが考えられます。定めがない場合には、合意による解除を含めた対応を検討いたします。
質問4 期間が満了すれば、自動的に自由になりますか。
自動更新の定めが置かれていないことが前提です。自動更新の定めがある場合には、所定の期日までに更新をしない旨の意思表示をする必要があります。また、秘密保持義務は独占交渉義務とは別に、より長期にわたって存続するのが通例です。
質問5 既に署名してしまいました。今から何かできますか。
有効期間、終了事由、違反の効果を確認した上で、当該期間中に採り得る行動の範囲を整理いたします。相手方との合意により期間を短縮し、又は義務を解除することも交渉の対象となり得ます。署名の後であっても、検討の余地は残されています。
弁護士法人M&A総合法律事務所へのご相談
弁護士法人M&A総合法律事務所(代表弁護士 土屋勝裕。東京都港区虎ノ門)では、基本合意書の独占交渉義務に関するご相談を、売主側及び買主側の双方からお受けしております。
- 電話番号 03-6435-8418
- 受付時間 8時00分から21時00分まで
- 土曜日、日曜日及び祝日も受付いたします
- ご相談は事前予約制です
ご相談の際に、基本合意書の案文、意向表明書、媒介契約書、他の候補者とのやり取りの記録をご用意いただけますと、検討が早く進みます。
結果は事案ごとに異なります。本記事の記載は一般的な説明であり、特定の結果を保証するものではありません。
本記事の根拠条文
民法 第415条第1項(債務不履行による損害賠償)、第416条(損害賠償の範囲)、第420条(賠償額の予定)、第522条第1項(契約の成立)
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