買主又は仲介会社から株式譲渡契約書の案文を渡され、署名の期日を示された経営者の方からの御相談をいただきます。案文は30ページを超えることも珍しくなく、専門用語が並んでおり、どこを見ればよいのか分からないという状態でお電話をいただきます。本記事は、株式譲渡契約書という場面に限って、署名の前に確認しておくべき条項と、弁護士に依頼する時期を整理したものです。
まず前提として申し上げておきたいことがあります。株式譲渡契約書に置かれる条項の大半は、会社法が定めた制度ではありません。表明保証も、補償も、クロージングの前提条件も、価格調整も、いずれも当事者が契約書に書いた範囲でのみ効力を持つ、契約上の制度です。したがって、「これは通常このようになっています」という説明は、法律上そうなっているという意味ではありません。
裏を返せば、書き方によって結論が変わるということです。売主が最終的に負担する金額の上限も、買主が支払を拒むことができる場面も、条項の文言によって決まります。以下では、案文のどこを、どの順に見るべきかを御説明します。
本記事が扱う場面と、扱わない場面
弁護士への依頼という同じ主題であっても、判断の分かれ目となる論点は場面ごとに大きく異なりますので、次のとおり整理しております。
- 株式譲渡契約書という場面(確認すべき条項と依頼の時期)……本記事
- 相談の時期(どの段階で弁護士に相談すべきか)……M&Aを弁護士に依頼するのはどの段階か 基本合意書の署名前に相談しなければ失われるもの
- デュー・ディリジェンスという場面……デューデリジェンスを弁護士に依頼するとき 売主と買主が弁護士に任せられる範囲と費用の考え方
案文が届いてから署名までの日数が、確認できる範囲を決めます
株式譲渡契約書の確認について御相談をいただく際、最初にお伺いするのは、案文を受け取った日と、署名の期日です。この2つの日付の間隔によって、できることが変わります。
2週間以上ある場合
条項ごとに修正案を作成し、相手方と2往復程度の協議を行うことができます。表明保証の範囲、補償の上限額と期間、クロージングの前提条件について、実質的な交渉が可能です。
1週間程度の場合
売主にとって影響の大きい条項に絞って修正を求めることになります。具体的には、補償の上限額、補償の請求ができる期間、表明保証の対象範囲、譲渡後の競業避止義務の範囲の4点です。
数日しかない場合
署名の期日を延ばしていただくよう相手方に申し入れることを、まず御検討ください。署名の期日は、多くの場合、法律上の期限ではありません。相手方が設定した目安にすぎない場合がほとんどですので、確認のための時間を求めること自体が交渉の決裂を招くことは、通常はありません。
案文を開いたとき、どの順に読むか
先頭から順に読む必要はありません。売主にとっての金銭的な影響が大きい順に読むほうが効率的です。
| 読む順序 | 条項 | 確認する点 |
| 1 | 補償 | 上限額、下限額、請求ができる期間 |
| 2 | 表明保証 | 対象範囲、知る限りという限定の有無 |
| 3 | 価格及び価格調整 | 支払の時期、留保される金額の有無 |
| 4 | クロージングの前提条件 | 売主が単独で満たせない条件の有無 |
| 5 | 譲渡後の義務 | 競業避止、勧誘の禁止、引継ぎの期間 |
金額の記載がある条項を先に探します
案文の中で、具体的な金額又は割合が書かれている箇所は多くありません。その大半は補償と価格の条項です。まずこれらを探し、数字を書き出してみてください。
期間の記載がある条項を次に探します
次に、「◯年間」「◯か月以内」といった期間の記載を探します。補償の請求ができる期間、競業避止義務の期間、引継ぎの期間が該当します。
「別紙」に本体がある場合があります
表明保証の具体的な内容は、契約書の本体ではなく別紙に置かれることが少なくありません。本体だけを読んで安心することがないよう、別紙の有無を確認してください。
補償条項の3つの数字を確認します
売主が譲渡後に負担する金額の幅は、補償条項の3つの数字によって決まります。
第1 上限額
売主が補償として支払う金額の上限です。譲渡価格の全額とされている案文もあれば、一定の割合に限定されている案文もあります。上限の定めがまったく置かれていない案文もあり、この場合、売主は譲渡価格を超える金額を負担する可能性を負います。
第2 下限額
1件当たり、あるいは累計で一定の金額に達しなければ請求できないという定めです。少額の事項について繰り返し請求を受けることを防ぐ機能があります。累計額が下限を超えた場合に、超えた部分のみを請求できるのか、全額を請求できるのかによって結論が変わりますので、文言を確認する必要があります。
第3 請求ができる期間
クロージングの日から一定の期間内に請求しなければならないという定めです。一般的な事項については1年から2年程度、租税及び社会保険に関する事項については、それより長い期間が定められることがあります。期間の定めがない案文では、売主の負担がいつまでも残ります。
表明保証は、どこまでを対象とするのかを確認します
表明保証とは、契約の当事者が、一定の事項が真実かつ正確であることを相手方に対して表明し、保証する条項です。会社法上の制度ではありませんので、対象とする事項も、違反した場合の効果も、契約書に書いたとおりになります。
「知る限り」という限定の有無
「売主の知る限り」という限定が付されているかどうかで、売主の負担は大きく変わります。この限定がある場合、売主が知らなかった事項については違反となりません。限定がない場合、売主が知らなかった事項についても責任を負います。労働紛争や環境に関する事項など、売主が把握しきれない事項については、この限定を求めることに合理性があります。
開示した事項の除外
デュー・ディリジェンスにおいて売主が開示した事項については、表明保証の違反としない旨の定めを置くのが通常です。この定めがない案文では、開示済みの事項についても後から補償を請求される可能性が残ります。開示の記録を別紙として添付することが確実です。
株式に関する表明保証は限定しにくい部分です
発行済株式の総数、売主が対象株式を適法に保有していること、株式に担保その他の負担が付されていないことについては、限定を求めることが難しい部分です。買主が取得する株式そのものに関する事項だからです。この部分に不安がある場合には、契約書の交渉ではなく、署名の前に株主名簿と登記を整えることによって解決すべきです。
クロージングまでに会社法上の手続が終わっている必要があります
株式譲渡契約書には、クロージングの前提条件として、必要な承認の取得と株主名簿の名義書換が挙げられているのが通常です。これらは会社法上の手続であり、所定の期間を要します。
譲渡制限株式の承認の手続
定款により譲渡について会社の承認を要する旨が定められている場合、株主は会社に対して承認をするか否かの決定をすることを請求します(会社法第136条)。会社は株主総会又は取締役会の決議によって決定をし(会社法第139条第1項)、その内容を請求者に通知します(同条第2項)。請求の日から2週間以内に通知がされないときは、承認をしたものとみなされます(会社法第145条第1号)。
具体的な日付で考えてみます
クロージングの日が令和8年12月15日と定められた場合を考えます。同日に株主名簿の名義書換(会社法第133条第1項)を行うためには、その前日までに承認の手続が完了している必要があります。会社の決定と通知に最大で2週間を要しますので、承認の請求は遅くとも令和8年11月30日までに行っておく必要があります。さらに、取締役会を招集するには、原則として会日の1週間前までに各取締役及び各監査役に対して通知を発しなければなりません(会社法第368条第1項)。この期間を加えますと、承認の請求は令和8年11月23日ごろまでに済ませておくのが安全です。
事業譲渡の方式による場合
株式ではなく事業を譲渡する方式による場合には、事業の全部の譲渡又は事業の重要な一部の譲渡について、効力発生日の前日までに株主総会の決議による承認を受けなければなりません(会社法第467条第1項第1号、第2号)。この決議は特別決議によります(会社法第309条第2項第11号)。株主総会の招集の通知は、公開会社でない株式会社においては、原則として会日の1週間前までに発する必要があります(会社法第299条第1項)。
なぜ買主側の代理人は、このような案文を出してくるのか
売主にとって一方的に見える案文が示されることは珍しくありません。買主の側の事情を3つに整理します。
第1 最初の案文は、交渉の出発点として作られています
買主の代理人は、依頼者である買主の利益を最大化する義務を負っています。したがって、最初に提示する案文は、買主にとって最も有利な内容となります。これは代理人として当然の行動であり、不誠実であることを意味しません。修正を求められることは、当初から想定されています。
第2 買主は情報の非対称を埋めようとしています
買主は、対象会社の内情を売主ほどには知りません。デュー・ディリジェンスを行ってもなお、把握しきれない事項が残ります。この不確実性を埋めるための道具が、表明保証と補償です。買主が広い表明保証を求めるのは、疑っているからではなく、知り得ないからです。
第3 修正を求めない売主が一定数存在します
案文がそのまま署名される例も現実にあります。買主の側から見れば、有利な条項を最初に置いておくことに費用はかかりません。売主が修正を求めなければそのまま成立し、求められれば譲歩すればよいという構造です。
依頼の時期は、案文を受け取った日が最も適切です
株式譲渡契約書の確認を弁護士に依頼していただく時期について、実務的な目安を申し上げます。
案文を受け取った日
最も適切な時期です。この時点であれば、修正案の作成と協議の日程を、署名の期日から逆算して組み立てることができます。
基本合意書の段階
さらに早い時期に御相談いただければ、最終契約書の主要な条件を基本合意書に書き込んでおくという方法を取ることができます。補償の上限額や請求期間の目安を基本合意書の段階で合意しておけば、最終契約の交渉が容易になります。
署名の直前
数日しか残されていない場合であっても、案文を拝見して、売主にとって特に負担の重い条項を指摘することは可能です。その上で、署名の期日の延期を求めるか、当該条項に絞って修正を求めるかを御判断いただくことになります。
署名の後
署名後は、契約書の内容を一方的に変更することはできません。もっとも、クロージングの前提条件が満たされていない場合の対応、補償の請求を受けた場合の反論、算定の根拠に対する検証など、なお弁護士が関与できる場面は残されています。
いま確認していただきたいこと
本日のうちに、次の事項を御確認ください。
第1に、案文の補償の条項を開き、上限額、下限額、請求ができる期間の3つの数字を書き出してください。いずれかが書かれていない場合には、その旨を記録してください。
第2に、表明保証の条項について、「売主の知る限り」という限定が付されている項目と、付されていない項目とを分けてください。
第3に、クロージングの前提条件を読み、売主が単独では満たすことができない条件が含まれていないかを御確認ください。第三者の承諾を要する条件が典型です。
第4に、譲渡後の競業避止義務について、期間、地域、対象となる事業の範囲を書き出してください。
第5に、案文を受け取った日と署名の期日をカレンダーに記入し、残された日数を確認してください。
よくあるご質問
修正を求めると、取引が壊れてしまわないでしょうか
株式譲渡契約書の案文について修正の申入れが行われることは、実務上、通常の手順です。修正の要求があったこと自体を理由に買主が交渉を打ち切ることは、まず考えにくいと申し上げております。むしろ、まったく修正を求めない売主のほうが、専門家が関与していないと受け取られ、その後の交渉で不利に働く場合があります。
仲介会社が作成した案文であれば、公平な内容ではないのですか
仲介会社が提供する書式は、一般的な形式に沿って作成されています。しかし、補償の上限額や表明保証の範囲といった、当事者の利害が直接対立する事項については、いずれかの立場に寄った内容とならざるを得ません。書式であるという理由で公平が保証されるわけではありません。
表明保証について、期間や上限額の法律上の定めはありますか
ありません。表明保証及び補償は、会社法その他の法律が定めた制度ではなく、当事者の合意によって作られる契約上の制度です。したがって、上限額も期間も、契約書に書かれた内容がそのまま効力を持ちます。「法律で決まっている」という説明を受けた場合には、根拠となる条文をお尋ねになることをお勧めします。
買主の立場ですが、こちらも確認を依頼できますか
もちろん可能です。買主の立場では、デュー・ディリジェンスで発見された事項が契約書に正しく反映されているか、クロージングの前提条件が実際に検証可能な形で書かれているか、補償の請求手続が現実に機能する内容となっているかが主な確認点となります。
おわりに
株式譲渡契約書は、会社法の条文をなぞった書面ではありません。当事者が書いたとおりの結論が生じる書面です。だからこそ、署名の前に確認する意味があります。補償の3つの数字と、表明保証の範囲、この2点だけでも確認していただければ、負担の大きさは相当程度に把握することができます。
案文がお手元に届いている段階であれば、日程を組み立てることができます。署名の期日が迫っている場合でも、対応の方法はあります。まずはお電話をいただき、案文を受け取った日と署名の期日をお聞かせください。必ず解決できますから、一緒に頑張りましょう。
株式譲渡契約書の確認に関する御相談
弁護士法人M&A総合法律事務所 電話番号 03-6435-8418
受付時間 8時00分から21時00分まで(土曜・日曜・祝日を含みます)
出典
法令
会社法第133条第1項(株主の請求による株主名簿記載事項の記載又は記録)、第136条(株主からの承認の請求)、第139条第1項及び第2項(譲渡等の承認の決定等)、第145条第1号(株式会社が承認をしたとみなされる場合)、第299条第1項(株主総会の招集の通知)、第309条第2項第11号(株主総会の特別決議)、第368条第1項(取締役会の招集手続)、第467条第1項第1号及び第2号(事業譲渡等の承認等)
国家行政組織法第14条第2項(訓令及び通達)
公表資料
国税庁「取引相場のない株式の評価に関する有識者会議(第1回)」資料(令和8年4月20日)
国税庁「取引相場のない株式の評価に関する有識者会議(第5回)」資料(令和8年8月20日)
なお、同会議において検討されている財産評価基本通達の見直しは、内容も実施の時期も確定したものではありません。また、税法上の評価と、会社法上の「公正な価格」又は「売買価格」とは、目的も算定方法も異なります。財産評価基本通達は行政庁の内部の取扱いであって、裁判所を拘束するものではありません。
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